好きになった理由 サッカー編

「練習してもリフティングができない」

 

小学生で習い始めたサッカーが途中で嫌になった理由です。

サッカーは苦手でした。どこに動いても怒られるし、試合に出れないし。

試合に出ていた友達は輝いて見えました。憧れでした。

いつの間にかグラウンドから遠ざかり、クラブチームも辞めてしまいました。

 

柿谷曜一朗との出会い

そこから高校まで、サッカーに触れる事はなかったのです。

高校で再びサッカーに出会い、長き恋に落ちたきっかけはサッカーゲームでした。

当時流行っていたガラケーのサッカーアプリ。

私の友人が「友達招待ボーナス」を目的に勧めてきたことがはじまりはじまり。

招待した人もされた人もレア度の高いカードを1枚手に入れる事が出来たのです。

「(友達の誘いだから断らないけど、始めたらすぐやめようかな、、)」

それくらいの気持ちで特典のガチャを回しました。

 

仕組まれた確定演出から出てきたカードはピンクのユニフォームを着た背番号13番をつけた選手。

セレッソ大阪 柿谷曜一朗

 

 

「誰やこいつ。」

プロ選手、プロチームなんて地元のジェフしか知らない高校生です。

友達や弟の付き添いで日本代表戦をちょっと見るくらい。

知らない選手だし、やっぱり少しやったらやめよう。

 

しかし、その後放ったサンフレッチェ広島サポの友人の言葉からすべてが変わります。

「うわ、柿谷じゃん。強いから絶対その選手ベースにチーム作りな。」

 

どうやら強いらしい。

Jリーグ内では有名な選手みたいだ。

 

サッカーに触れていく日々

そのゲームにはトレード機能があり、他のユーザーとカードの交換が可能なゲームだったので、友達に教えてもらいながらセレッソ大阪の選手を集めたのだ。

休み時間や放課後、ゲームに明け暮れた日々。

 

丸橋、キムジンヒョン、藤本、扇原、茂庭、清武、酒本、山口、杉本

気づいたら当時のベストメンバーを揃えることが楽しみだった。

地元千葉とは全く無縁。

大阪にあるサクラピンクのチームの虜になっていたのです。

 

私の性格上、気になったものはとことん調べてしまう。

日本代表で活躍している香川真司セレッソに所属していたことも初めて知った。

柿谷の他にも、山口、扇原、南野といった時期日本代表候補が沢山所属していた。

次世代のスター軍団だったのだ。

 

ピンクのユニフォームをまとった、日常生活では接することイケイケのスポーツ選手はいつしか自分にとって憧れの存在に変わっていきました。

小学生で試合に出ていた友達に抱いていた気持ちに似たような。

 

ついに試合観戦

ゲームがきっかけで試合を見に行くこともあった。

私のJリーグ初観戦は2013年2月23日、国立競技場のフジゼロックススーパーカップ

リーグ優勝したサンフレッチェ広島天皇杯王者の柏レイソル

自分にとっては最初で最後の旧国立での試合だった。

予習はもちろんゲームでばっちり。エース佐藤寿人のゴールで先制。結果は1‐0で広島の勝利。

これぞエースの仕事を見せてくれたのだ。

 

セレッソ戦の初観戦は2014年3月23日、鹿島スタジアムでの鹿島アントラーズ戦。

フォルラン初ゴールを目の前で見た試合でした。

この年セレッソがJ2降格したことは言うまでもない。

今後の記事でセレッソJ2時代の思い出について書いていこうと思う。

 

現在のサッカーと私の関わり

クラブは全国津々浦々存在しているので、目的地になるのだ。

地方のグルメ旅行や建築旅行の際には必ずサッカー観戦を絡めている。

今後の記事でも旅行の記事が出てくると思うが、必ずと言っていいくらいサッカーや野球が絡んでくる。

地域に根差したクラブを掲げているチームがある街。私はそんな街を訪れる事が大好きだ。

 

地方旅行を楽しむようになったきっかけにもなったサッカー。

そのサッカーが好きになった一番底にあるのは、柿谷曜一朗との出会いということを知ってほしい。